44『最後に立っていたのは』



 闘う二人に相手以外は何も見えない。
 彼らに痛みは感じられない。
 そして彼らは疲れも感じない。

 己が全てを賭け、
 手業を尽くして、
 全霊を込めて闘う二人。

 彼らは何もかも忘れている。
 何のために闘うのかも。

 二人はただ決着をつけるために闘っている。
 ただ相手に勝つために。
 ただ自分が負けないために。

 最後まで立っているのが自分であるために。



 目の前に広がる光景に、さしものジルヴァルトも驚きを隠せなかった。
 目を一杯に見開き、表情が強張っている。
 その視線の先にあるものは、一羽の鳥だ。無論、ただの鳥ではない。嘴から尾の先まで自ら光を発するほどの神々しき純白の鳳だ。

(神獣の召喚……だと?)

 神獣。現実には確認されておらず、神話、伝説の中のみに存在する獣の相称である。
 先に述べた通り、召喚魔法というのはそれを別の場所から呼び出す事ではなく、魔力によって創造し、具現化する魔法である。そして、それを行う為には造り出す対象を知り尽くしていなければならない。
 しかし、コーダの《シッカーリド》のような現実に存在する動物とは違い、神獣は神の使いといわれ、神話や伝説の中にしか存在しない。
 実存せず、普通見ることも出来ないような神獣を召還するということは理論上不可能であるはずなのだ。

 “白鳳”《アトラ》はその長い首をもたげ、嘴の先をジルヴァルトに向けた。
 そして嘴を開け、その口の中に光を凝縮させて行く。
 危険を感じたジルヴァルトはとっさに防御魔法の詠唱にかかる。

「受容する力よ、この場より去れ! 拒絶する力よ、この場に宿れ!」

 ジルヴァルトの足元に黒く光る円が描かれ、光を発しはじめる。

「拒み、離す力に支配されし、我が《斥力の領域》は誰が力をもってしても侵すこと難し!」

 呪文を唱え切ると、ほぼ同時に魔法が完成し、円が強く黒い光を発して、半透明の黒い半球を形作った。

 次の瞬間、《アトラ》は半球の中心に立っているジルヴァルトに向けて開いた嘴から光熱波を放射した。

 それはあっという間に半球、即ち《斥力の領域》とぶつかりあう。
 ものを引き付ける引力とは逆の力、つまりものを遠ざける斥力が支配する領域を光熱波はそれを圧倒する圧力をもって半球を歪め内部に侵入して行く。

「ぬ……うっ……!」

 ジルヴァルトが更に魔力を注ぎ込み、場を支配する斥力を高める。
 それによって光熱波の侵入速度は目に見えて遅くなった。が、それでも確実に少しずつジルヴァルトに向かって進んで行く。
 斥力を最大に高めても、光熱波を押し戻すことは出来なかった。

 ジルヴァルトは黙って耐えた。
 この攻撃さえ凌ぎきれれば、もう一度同じ攻撃をさせる時間を与えないように攻撃することができる。
 しかし、《アトラ》の放つ光熱波はじりじりと斥力の中を進んで来る。

 不意に、半球内の黒い光が薄れ始めた。
 それとともに光熱波の侵入速度が上がりはじめる。

(不味い……魔法の効果が持たない……!)

 ジルヴァルトの《斥力の領域》が雲散霧消し、光熱波がジルヴァルトを襲った。
 しかし、幸いなことにほぼ同時に《アトラ》の攻撃が終わり、光熱波はジルヴァルトにある程度のダメージを与えるのみで終わった。

 立ち上がって向かってくるジルヴァルトに向けて再び《アトラ》が嘴を開いた。再び光を凝縮し、今度は光弾を三連発で放つ。
 ジルヴァルトは軽いフットワークでそれを躱しつつ《アトラ》とリクに向かって走って行く。
 《アトラ》はもう一度光弾を放とうと嘴を開くが、そこで止まった。
 ジルヴァルトがそれを封じたわけではない。
 リクがそれを制したのだ。
 意外な行動に、ジルヴァルトは足を一旦止める。

《何故止める?》

 空気の振動ではなく、直接頭に響くような声で《アトラ》は尋ねた。
 鳥に表情はないのでよく分からないが、もし人間ならば顔を訝しげにしかめているだろう。

「《アトラ》、折角助けてもらってこう言うのもなんだけど……これは俺の闘いなんだ。このままあんたに任せればジルヴァルトに勝てるかもしれない。
 でも、それじゃ、アイツに勝ったのはあんたで、俺じゃない。俺…皆に約束したんだ。アイツに…ジルヴァルトに勝ってから行くって」

 しばらく、《アトラ》は黙って自分を見上げるリクの目を見つめていたが、やがて視線を外すとその大きな翼をゆっくり優雅に羽ばたかせた。

《よかろう、私もそなたの言う“皆”の中に入り、そなたを信じて待つとしよう》
「あ、《アトラ》、一つ聞いていいか?」

 リクは、上空に飛翔せんと翼を力強く羽ばたかせようとする《アトラ》を止めるように言った。

《何だ?》
「あんたが俺にくれた素質って、レベル5以上の魔法を使えないようなものなのか?」
《そんな弱い素質を与えるわけがなかろう》

 否定する《アトラ》にリクは食い下がるように続けた。

「でも、今まで何度試しても使えなかったんだ」

 答える代わりに《アトラ》は翼を一度力強く羽ばたかせ、その巨体を宙に浮かせた。そしてゆっくりと上空に向かって上昇して行く。
 ある程度まで高度をあげるとリクを見下ろして言った。

《……それはそなたが本当にその魔法を欲していなかったからだ。そなたが真に強い魔法を必要とする時、それは初めて形となりあらわれるだろう》

 そしてその言葉を最後に、《アトラ》は大決闘場から飛び去って行った。

 バトルフィールドに残った二人は改めて対峙する。
 リクは頭のバンダナを締め直しながら言った。

「度々待たせてすまねーな」
「そう思うなら待たせるな」

 にベもない返事だったが、リクはそれを不快に感じなかった。
 殺されかけたフィラレスや師を殺されたジェシカには申し訳ないが、リクは彼の一連の行動を憎めない。
 ジルヴァルトはジルヴァルトで何かに対して真直ぐなのだ。

 二人が同時に腰を落として構える。
 リクは構え終わった刹那、全く躊躇せずにジルヴァルトに向かって突っ込んで行く。
 しかし、どれだけ近付いてもリクは魔法の詠唱に入らない。

 ジルヴァルトの目の前に来た時、リクは腰だめに構えていた。左手で軽く、しかし素早く連続して拳を繰り出した。
 ジルヴァルトはそれを冷静に避け、こちらも拳で応戦する。
 リクはそれを、背を反らして躱すと、その勢いで足を振り上げ、蹴りに持っていく。
 その蹴りをジルヴァルトは完全に見切りギリギリのところで避けた。
 躱されたリクはそのまま身体を一回転させ元の姿勢に戻る。そこを狙ってジルヴァルトが懐に飛び込みその顔面に裏拳を叩き込む。
 リクはそれを手で受けると、そのまま手を取ってジルヴァルトを投げる。
 その投げに対し、ジルヴァルトは自分からふわりと飛びあがって地面に着地した。
 そこを狙ってリクは素早く魔法の詠唱に入る。

「我は投げん、その刃に風巻く《風の戦輪》を!」

 手に現れた輪状をした薄緑色の光を投げ付ける。
 この距離ならば《歪みの穴》を使う余裕はない、そして手が届かないので《衝撃の伝導》も使えないはずだ。

「風よ、不可視なる刃をもって全てを切り裂く《真空波》となれ」

 風にはより強い風で対抗するジルヴァルト。《真空波》はレベル5だから、ぶつかれば《風の戦輪》は消えるし、そのまま攻撃にもなる。
 二つの魔法がぶつかる直前、リクは《風の戦輪》に向けた拳をパッと開いた。
 それに応えるように《風の戦輪》は無数の小さな輪に分裂する。
 いくつかの小さな輪は《真空波》とぶつかって立ち消えたようだが、残りの戦輪がジルヴァルトを襲った。
 しかし一つ一つが小さいのでちょっと深めの切り傷を与えただけだ。

 次はほとんど威力を殺されていない《真空波》がリクを襲う。
 リクは急いで《瞬く鎧》を唱えるが、タイミングが合わなかったので威力を殺しきれない。
 ダメージが軽く、体勢も崩されなかったジルヴァルトが次の攻撃に入る。

「念込められし《殺意の魔弾》。願われるは汝の敗北。その矢じりは射手の意に導かれ、堅き岩をも打ち砕く」

 今回は一つではなく四つの黒い玉がジルヴァルトの周囲に浮かぶ。そして、四つ同時にリク目掛けて走り飛んでいった。
 しかし今回は四つにした分、魔導に時間が掛かってしまい、完成した時にはリクは体勢を立て直していた。

「砂塵よ、舞い上がりて我が姿を隠す《砂幕(さばく)》となれ!」

 唱え切った瞬間、リクの足元から爆発したように砂塵が巻上がり、砂煙でリクの姿が見えなくなる。
 《殺意の魔弾》の目を欺こうという考えだろう。

(馬鹿な真似を……《殺意の魔弾》は対象の魔力を追う魔法。姿を隠しても無駄だ)

 次の瞬間、砂塵の中から爆発音が聞こえた。
 しかし、ジルヴァルトの表情が厳しいものに取って変わった。
 できるだけ急いで、詠唱をする。

「天上に在りし岩石よ、我が元に降れ! その身を重力に任せ、眩き炎を纏いて《天下りし星屑》となれ!」

 そしてジルヴァルトは人さし指を空に向けた。
 彼が指差した空の一点がきらりと輝いたかと思うと、次の瞬間、とんでもない速さになった隕石が、ジルヴァルトの足元に落ちる。
 場に、本物の砂煙が舞う。

 その砂煙が晴れた時、ジルヴァルトの目の前に穿たれたクレーターの中心に、膝を付くリクの姿があった。
 もともとあの《砂幕》は《殺意の魔弾》から身を隠す為の手段ではなかった。《地潜り》を使って地中からジルヴァルトを攻撃する為の伏線だったのだ。いくらなんでも地中に潜るのを見られては警戒される。それを防ぐ為のカモフラージュだったのである。
 しかも《殺意の魔弾》に対応した《砂幕》のタイミングは「あの《砂幕》は《殺意の魔弾》の目から逃れる為だ」と取れ、「《地潜り》をカモフラージュする為だ」と取りにくい。
 このタイミングはいわば、二つ目のカモフラージュを生んだ。
 その機会を逃さなかったリクはまさに狡猾なる魔導士であると言える。

 ではどうしてジルヴァルトがこの二重のカモフラージュを見通し、リクの作戦を見破ることが出来たのか。
 《殺意の魔弾》は地に潜ったリクを追い掛けて地面と激突して消えたのだが、ジルヴァルトにとってその時の音がその二重のカモフラージュを見破る鍵となった。
 《殺意の魔弾》が当たった時の音と手応えが人間に当たったものとは違うことに気付き、ついで地面に当たったものであることに気付いたのだ。
 何故、リクを追っていった物が地面に当たったのか。それを考えた時にリクの巧妙且つ絶妙な作戦は見破られた。

「なかなか見事な攻撃だった。が、言ったはずだ。俺には小細工は通用しない。そろそろ決めさせてもらう。あの神獣を行かせたのが貴様の敗因だった」

 クレーターの縁に立ったジルヴァルトが底にいるリクを見下ろして告げた。その言葉に続けて魔法の詠唱を始める。

「この場に芽生えよ、全てを砕く破壊の衝動! そして宿れ、逃れられぬ滅亡の運命!」

 リクのいるクレーターに赤黒い魔法陣が描かれる。
 その縁にはこの世のものと思えぬような紫色の炎が上がっている。

「血よ、降り注ぎて大地を濡らせ! そして死よ、響く悲鳴の音頭に合わせて踊り狂え!」

 輪の縁に燃えていた炎が鬼火のような無数の火の玉になり、リクの周りを踊るように飛び交い始めた。
 そして、ジルヴァルトは魔法を完成させる。

「そして始まるがいい……生きる者の戦慄を呼ぶ《殺戮の饗宴》!」

 無数の火の玉は一度魔法陣の縁に並ぶと、その円の縁上を再びぐるぐると踊るように動き始めた。
 そして魔法陣がどんどん狭まりはじめる。
 もちろん、無数の鬼火もリクに向かって迫って来る。
 リクは魔法陣の外に向かって《炎の矢》を放った。

「我は放たん、射られしものを炎に包む《炎の矢》を!」

 赤く燃え盛る魔力の矢は真直ぐに魔法陣の外へと飛んでいく。
 しかし、鬼火達の踊る境界線まで行ったところで見えない壁に当たったかのように立ち消えてしまった。

(結界か……)

 これではダメージ覚悟で魔法陣の外に突っ走ることは出来ない。
 リクは下に手をつきその魔法を詠唱する。

「我は得たり《地潜り》の力」

 地上が駄目なら地下を通るまで。まさか、地面の下にまで鬼火は追って来ないつまりだろう。
 しかし、リクの身体は一向に沈まない。

(……地面にまで結界が張られてやがる……!)

 つまり逃げることは出来ない。彼がこの状況から生き残る道は二つ。
 結界を破る、もしくはこの攻撃を耐え切る。

 前者はさっきの《炎の矢》で実験済みだ。あの魔法が、現在リクが使える魔法で最高の攻撃力を誇っている。
 後者も、これは推測だが、無理だろう。何故なら、今まで精一杯闘い、彼の実力を見切ったジルヴァルトが「決めさせてもらう」と言い切ったからだ。そして「小細工は通用しない」とも言った。

(こりゃ本気で《アトラ》を行かせたのは不味かったかもな)

 心にも無いことを思う。

(……でも諦めるわけにゃいかねーよな)


  -------私の代わりに、あのジルヴァルトを倒して下さい。お願いします


 ジェシカとの誓いを果たす為にも。


  -------いいな、夢を失いたくなきゃ、絶対に負けるなよ。


 自分の夢を失わない為にも。
 そして、


  -------コイツを倒した後に必ず行くからさ。


 自分を信じて待っている皆とした約束を果たす為に。

 そして迫りくる鬼火を前にリクは立ち上がり、口元に笑みを浮かべた。単に緊張で口元が引き攣ったのかもしれない。


  -------そなたが真に強い魔法を必要とする時、それは初めて形となりあらわれるだろう。


 《アトラ》の言葉が脳裏をよぎる。
 迫って来る鬼火の速度からしてチャンスは一度。
 失敗すれば、全てが終わる。

 しかし今躊躇する理由はどこにも無い。
 リクは詠唱を始めた。

「その内に抱くは我! その表面に刻まれるは守護の言霊! それが発する優しき光は内に在る者を如何なる攻めからも遠ざける! 我が身を包め、神に祝福されし護法輪《イール・オー・サーク》!」

 唱え終わったリクの手から、四つの光の玉が出る。
 四つの光の玉はリクの左肩から右腰まで、つまりタスキの角度で傾いた、半径が腕の長さの二倍の円上を高速で回転している。光の玉達は同軌道上を旋回している為、残像が繋がり一つの輪のように見える。
 その輪の輝きがどんどん強くなり、いつの間にかその光の中に一つの輪が見えるようになった。
 その輪は白銀に輝く何らかの金属製の帯で出来ており、三カ所で捻れていた。
 その帯の面には何らかの文字が刻まれているようだが、一定の速度でクルクル回っている為にそれを読み取ることは出来ない。

 レベル7の防御魔法《イール・オー・サーク》が完成した直後、狭まってきた《殺戮の饗宴》の鬼火達がリクを襲った。
 それに対応するように《イール・オー・サーク》が光を放ち、その輪の上下に光の幕を張った。
 一斉にリク目掛けて殺到した鬼火はその光ごと覆い隠すように被さっていく。
 その次の瞬間、赤黒い爆炎と、断末魔の悲鳴のような爆音と共に鬼火達は爆発した。

 爆風で舞い上がった砂塵をジルヴァルトと観客が注視する。
 果たしてリクが刹那に唱えたあの防御魔法で間に合ったのか。

 もうもうと生き物のように蠢く砂塵が急に左右に別れた。
 そこから飛び出してきたのはもちろんリクだ。身体を中心にクルクルと回る《イール・オー・サーク》も健在である。

「我は放たん、連なりて射られしものを炎に包む《火炎の連弩(れんど)》を!」

 いつもの《炎の矢》と同じようにリクの構えた手の中に弓矢の形をした炎が現れ、それを引き絞る。
 そしてそれを放つと、その後に続いて全く同じ《炎の矢》が六発、次々に放たれる。《炎の矢》のレベルアップ版、レベル6の《火炎の連弩》だ。
 連なる《炎の矢》がジルヴァルトに向かってまっすぐ飛んだ。

「受容する力よ、この場より去れ! 拒絶する力よ、この場に宿れ! 拒み、離す力に支配されし、我が《斥力の領域》は誰が力をもってしても侵すこと難し!」

 黒い半球がジルヴァルトを覆い、そこに赤い光の矢が当たっては消散していく。その間にジルヴァルトは反撃の魔法を詠唱する。
 黒い半球が失われると同時にジルヴァルトは《殺意の魔弾》を発動し、四つの黒い玉にリクを襲わせる。
 しかしそれはリクを護る輪《イール・オー・サーク》に行く手を阻まれ、リクにその手を届かせる事はなかった。

「なかなか強力な壁だ……ならば砕くまで。《破魔矢》よ、空を切り裂き、魔を砕け!」

 ジルヴァルトの手の中に小さな矢が現れ、それをリクに向かって投げつける。
 それがリクの《イール・オー・サーク》に当たった瞬間、《イール・オー・サーク》が光を放ち、砕け散ってしまった。

「なっ……!?」
「その茎は槍、その葉は刃。鞭のごとし蔓にて捕まえ喰らうは汝! ここに育まれよ、冥界に茂りし《人喰い草》!」

 突然リクの周囲の砂が持ち上がった。
 そして姿を見せたのは既にリクを真ん中に捉えた円形の植物である。
 その円形が半分に折れて閉じられていく。リクを取り込まんと閉じる顎のように。

「その頭向けしは汝! それが象られるは龍! その口から吐き出されし火焔はあらゆるものを焼き尽くす! 真紅の咆哮と共に我が手に収まれ! 蒼天朱に染めし焼尽の火吹き《ルーフレイオン》!」

 リクの詠唱と共に彼の手に赤い光が輝き、やがてそれは一メートルくらいの杖のようなものになった。
 その金属で出来た柄の先に付いている杖頭にあたるものは天に向かって吠えるように口を開けた龍の頭が象られていた。その喉には穴が穿たれている。

 リクは《飛躍》で飛び上がると下方の《人喰い草》に《ルーフレイオン》の口を向ける。
 するとその口の奥が赤くなってゆき、炎が噴き出し、一瞬の内に《人喰い草》を焼き尽くした。端から見ると龍が火を吐いたように見える。
 続いてジルヴァルトに《ルーフレイオン》の口を向けようと目を移す。しかしその先にジルヴァルトはいなかった。
 必死で目を走らせ、ジルヴァルトの姿を探す。
 すると不意に後ろから背中に手を当てられた。

「え?」
「我が手に触れられし者よ、《墜落》せよ」

 いつの間にか背後にいたジルヴァルトの魔法によってリクは突然、地面に吸い寄せられるように落下した。
 重力を強くしてあるらしく、高さの割に激しく地面に激突する。

「風よ、不可視なる刃をもって全てを切り裂く《真空波》となれ」

 更に攻撃を加えんと唱えられた《真空波》がリクに向かって放たれる。
 リクは痛みに顔をしかめながら必死で防御魔法を唱えた。

「ま、《瞬く鎧》によりて我は全てを拒絶する!」

 今回はなんとか成功し、追加攻撃を喰らう事だけは免れた。
 リクは《ルーフレイオン》をジルヴァルトに向け、激しい火炎を放射させた。
 下から炎にあおられ、ジルヴァルトは痛みに表情を崩す。

「くッ……、天上に在りし岩石よ、我が元に降れ! その身を重力に任せ、眩き炎を纏いて《天下りし星屑》となれ!」

 リクの頭上から、眩しい光を放った隕石が落ちて来た。
 しかし、その前にリクの防御魔法が発動し隕石攻撃を防ぐ。クルクル回りながらリクをガードする《イール・オー・サーク》だ。

 だがその直後、《イール・オー・サーク》に《破魔矢》が突き刺さった。
 ならば、とリクが《ルーフレイオン》をジルヴァルトに向ける。しかしそれが炎を吐く直前《ルーフレイオン》が粉々に砕け散る。
 先ほど《イール・オー・サーク》を壊した《破魔矢》は同時にこちらも狙っていたのだ。

「念込められし《殺意の魔弾》。願われるは汝の敗北。その矢じりは射手の意に導かれ、堅き岩をも打ち砕く」

 四つの黒い玉がリクに向かって飛び走る。
 それに対しリクは《砂幕》を発動、巻き上げた砂塵で身を隠した。

 先程も全く同じ状況があった。砂塵に隠れて《地潜り》で下から奇襲を掛けて来たのだ。
 あの時は二重のカモフラージュを掛けていたのにも関わらず、鋭い感覚をもって見破られてしまった。だから前回と同じ手で来るとは考えにくい。
 何よりも……

(今のリク=エールは、あの時のアイツとは違う……!)

 さあ、どこだ。
 どこからくる。

 ジルヴァルトは目の前の砂塵を凝視し、バトルフィールド全体に神経を張り巡らせる。もはやバトルフィールド上に彼の死角はない。
 そして彼はリクの気配を察知した。

(後ろだ!)

 ジルヴァルトが振り向きざまに《真空波》を放つ。
 しかし、そこにリクはいなかった。予想もしなかった展開に、珍しくジルヴァルトの表情が驚愕に満ちたものとなる。
 その背後にリクの気配を感じる。
 振り向いた所に雷の宿った矛《ヴァンジュニル》を振りかぶったリクの姿があった。

(振り向いた一瞬の隙に反対側に移動したのか…!?)

 リクの《ヴァンジュニル》が振り降ろされ、ジルヴァルトの身体に痛みと痺れが走る。
 だが、ジルヴァルトもただでダメージを負う事はなかった。
 その痺れを制し、何とかその魔法を詠唱する。

「汝、我が痛みを押して知るべし」

 そしてリクの身体に触れ、詠唱を完了させる。

「《痛み分け》」
「ぐっ……!?」

 この魔法によってリクにも同じ痛み、痺れが走り、その顔が歪んだ。
 しかしリクはこの痛みをさほど不快には感じなかった。だからといって気持ち良く感じたわけではない。
 この闘いの緊張感で気にならなくなっているのだ。

 一瞬たりとも気を抜けない。
 攻撃する時も防御した後も、僅かな隙が相手の攻撃を誘う。
 そして、こちらの攻撃もどんな小さな隙も見逃してはならない。
 それを逃したら、もうそんな機会はないかもしれない。

 攻撃に遭って何度肝を冷やした事か。
 手傷を負って何度痛みに耐えた事か。
 攻めきれずに何度悔しく思った事か。

 リクはもう何も考えていなかった。
 頭の中に何もなかった。ジェシカとの約束も、皆との約束も。そして大災厄の事さえも、今のリクの頭の中には残っていなかった。
 彼の目にはもはやジルヴァルトしか写っていない。
 ただ夢中で彼を倒すために、たったそれだけのことのために、魔法を唱え続けている。
 そして、彼はその闘いの中で微笑みを浮かべていた。

(何だろうな……俺、すげードキドキしてる。こんなに強いアイツと渡り合えてる。これって何かすげーよな。何だろうな……この感じ。なんて言ったらいいんだろうな。ドキドキして油断したら心の底から笑えて来そうな感じ……これってなんか……)


 楽しいよな。


 観客達は息を飲んでその闘いを見守っていた。
 下のバトルフィールドで繰り広げられている光景に魅入り、物事の理解出来ない幼子一人、言葉を漏らす者はいない。
 一瞬の隙を許さない超ハイレベルな魔法の応酬。
 喋る暇など見付からない。
 見るだけで精一杯だ。

 観客達は認め始めていた。
 これは十五年前を超えるファトルエル史上最高の決闘であると。


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「その内に抱くは我! その表面に刻まれるは守護の言霊! それが発する優しき光は内に在る者を如何なる攻めからも遠ざける! 我が身を包め、神に祝福されし護法輪《イール・オー・サーク》!」
「受容する力よ、この場より去れ! 拒絶する力よ、この場に宿れ! 拒み、離す力に支配されし、我が《斥力の領域》は誰が力をもってしても侵すこと難し!」

 二人の防御魔法が同時に発動し、先ほど同時に放った攻撃を防ぐ。
 ただ、お互い必死で放った所為か、二人ともバランスを崩して倒れてしまった。その倒れ様にジルヴァルトは《破魔矢》でリクの《イール・オー・サーク》を破壊する。

 二人はゆっくりと起き上がった。
 その目はしっかりとお互いの相手を見据えていた。

 しかしそこからなかなか動こうとしない。
 二人とも満身創痍で体力も残ってないらしく息も荒れている。大体、今倒れたのだって疲れて足腰が立たなくなっているからだ。
 リクもジルヴァルトももうほとんど魔力が残っていない。
 あれだけ派手に高レベルの魔法を打ち合っていたのだから当然の話だった。

 残る魔力は一発分。
 次に倒れたら立ち上がれはしないだろう。
 つまり、


 -------・・・これが最後の一撃……!・・・------


 二人は目を合わせたまま、しばらく息を整えていた。
 その呼吸が次第に落ち着いていき、ある時ピタリと止めた。
 先に詠唱を始めたのはジルヴァルトだ。
 リクは腰を落とし、ジルヴァルトに向かって突っ込んでいく。

「廃れさせ滅ぼす力よ、ここに! 信頼を揺るがす欺瞞よ、渦巻け! 誰もが背を向ける恐怖よ、膨らめ! これに触れるものは望むがいい、自らの消滅を! そして従うがいい、冥王による《荒廃への導き》に!」

 リクの行く手を阻むように、ジルヴァルトの放った黒球が膨らんでいく。リクはそれでもその足を止めずに走り込んでいき、呪文の詠唱を始めた。

「その鞘に収まりしは曇り無き直刃!」

 リクが右半身に構え、左の腰に両手を持っていく。それは洋風袴という彼の服装も相まって丁度、いまから刀を抜こうとする侍のように見えた。
 《荒廃への導き》は既に膨らみきり、動きを止めて、彼に向かって触手のようなものを伸ばしていく。

「鍛え抜かれしその刃に断てぬもの無し! 一度抜きし時、その速さは光も超える!」

 ジルヴァルトの黒球から生えて来た触手はどんどん彼を包み込む。
 腰だめに構えた両手に光が漏れはじめ、それは棒のように伸びていく。

「いざ抜き放たん!」

 触手が完全にリクを覆い隠し、彼に向かって進み始めた。
 だが、リクはそんな事は関係が無かった。
 黒球が膨らもうと、触手を伸ばそうと、それが彼を包み込もうと、そして彼を滅ぼさんと歩もうと、彼はその足を止める事は無かった。

 目指すはその向こうにいるジルヴァルト。
 それ以外のものは目に入らない。

 そして彼は《荒廃への導き》に正面から突っ込んだ。

 リクはその中をただ前へ前へと足を進めた。
 周りは全くの暗闇、そしてその闇は彼を消滅させようと容赦無く彼の身と命を削り取っていく。

 痛かった。
 苦しかった。
 怖かった。

(倒れるな! 死ぬな! 止まるな! 勝つんだ! 絶対勝つんだ!)

 何の為に勝とうとしてるのかはもう分からない。

(けど俺は勝ちたいんだ。滅茶苦茶強ぇアイツに絶対勝ちたいんだ!)

 不意に闇から身体が抜けた。
 目の前に目指していたジルヴァルトの姿が見える。
 そして、彼は最後の魔法を完成させた。

「一太刀にて全てを決す神速の太刀…」

 右足を踏み出しながら具現化したその刀の鯉口を左手で切る。
 踏み出した右足を力強く踏み込むと同時に、リクはその眩しく光る刀を抜き放った。

「《煌(きらめき)》………っ!」

 剣閃が走った次の瞬間、ジルヴァルトが斬り付けられた胸から血を流しながら、仰向けに吹き飛ばされて倒れる。
 リクも、足が折れ、膝を付きそうになった。
 彼はそれを必死で堪えた。

(まだ……まだだ……!)

 抜き身の《煌》を支えにして何とか踏み止まる。
 目の前に倒れているジルヴァルトが動いている。震える身体で、血を吐きながら必死で起き上がろうとしている。

 そして、ジルヴァルトは立ち上がった。
 その未だ死なぬ鋭い眼光はしっかりとリクを捉えていた。
 だが、彼は遂に力つき、再び崩れるように倒れた。
 その瞬間、決着は付いた。

 予定より早く行われたファトルエルの決闘大会決勝戦。


   リク=エール VS ジルヴァルト=ベルセイク。


 最後に立っていたのは、リク=エールだった。

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